文明の踏み分け道で考える―北川フラムと“アート”を語る レポート 第1回 「北川フラムを批評/批判(クリティーク)する」 ゲスト:椹木野衣
2014年5月30日(金) クラブヒルサイドサロン

北川さんから「徹底的に批判、疑問を投げかけてほしい」、そう事前にリクエストされていた椹木さんは北川さんの仕事を批評するうえでまず「アパルトヘイト否!国際美術展」(以下「アパ否!」)に着目する。「アパ否!」は当時南アフリカで行われていた人種隔離政策「アパルトヘイト」に世界中の芸術家を巻き込み廃絶を訴え、日本では北川さんが事務局長を務め1988年から3年間にわたり日本全国194ヶ所を巡回した国際美術展である。地方を重視し、東京がしんがりをなす「アパ否!」の巡回形式とともに、そこで北川さんが掲げた「できるだけ多くの人に作品を見てもらうこと」、「地域の自主性のなかで展覧会のつくり方を工夫すること」、「引き継がれる連鎖のなかで伝達し補完しあう関係ができること」、「特に子どもたちに見てもらうチャンスを拡げること」、これら4つの標語は現在の「大地の芸術祭」、「瀬戸内国際芸術祭」に代表される北川さんの仕事においても一貫して引き継がれており、北川さんの美術への態度表明としても出発点にあたると椹木さんは指摘する。

そのうえで椹木さんは疑問を投げかける。それは北川さんが本当にやりたいことなのか、と。たびたび北川さんが繰り返し言明する「現代の「少数者」のドキュメントでありたい」、「未来の予感・不安を表出する」、「時間の古層に埋もれている人間の恨みつらみを取り出す」といった言葉は先の4つの標語とは性格を異にするのではないか、と。このもう一つの側面の例として椹木さんは昨年の瀬戸内国際芸術祭でみられたハンセン病からの回復者たちが暮らす国立療養所大島青松園でのプロジェクトを挙げる。そのなかに長らく続いたハンセン病に対する社会的偏見と差別を象徴する解剖台の展示があった。島の海に打ち捨てられていたところを発見されたもので、当時亡くなった患者はこの解剖台で解剖されたという。この解剖台の展示に椹木さんは「作者を必要としない作品」「美術ではなくとも美術を超えていく特異点」を見出し、またこれからの美術が向かう方向性を示唆しているとする。さらにそういった点で北川さんの仕事の可能性をみているとも椹木さんは付け加えた。

これを受けて北川さんはまず、美術とは「70億人全員がちがうんだ」ということを確認する行為だと述べる。そのうえで「美術を体感する絶対量、チャンスを作らないことには社会の質的な変化はありえない」とし、「チャンスを拡げることに航路をとった」と自身の出発点を振り返る。日本で「アパ否!」をすることにある種のリアリティのなさを感じながらも、各地の人々の情動を揺さぶることで遠い世界で起きている矛盾につなげる、いわば「地下水路を築く」ことに希望を託したという。さらに、観光のように美術への窓口を拡げることによって解剖台の「深さ」のようなものが失われるのではないかという椹木さんの危惧に対して北川さんは「解剖台に大人が震撼する美術」と「美術が子どもに与える驚き」を同じ美術の持つ強度として同一列に捉え、この両極は循環を繰り返しながら補完し合う関係にあるのだと自身の見解を示した。最後に椹木さんは「美術は、死すべき人間の最後の友だち」という北川さんの言葉に触れる。その言葉は、美術は親しい人の表情や身振りに拮抗するもの、そしてそのことが美術の持つ力でもあるという自身の思いに由来すると北川さんは語る。椹木さんはそこに先ほど述べた「美術ではなくとも美術を超えていく特異点」と共鳴するものを示唆し、二人の対談は幕を閉じた。
各界の第一線で活躍する多彩なゲストを迎えて繰り広げられるこのトークシリーズの記念すべき第一回目である今回の対談。椹木さんの鋭利な分析と問いによって北川さんの内奥に抱える揺れや真意が炙り出されていくようでまさにスリリングな対談となった。今回椹木さんによって提起された論点は今後も北川さんの仕事を語るうえでの重要な参照点、あるいは争点として繰り返し回帰してくるのだろうとおもう。