RELAY ESSAY

八幡平だより いま、このような時に RELAY ESSAY 002

末盛 千枝子

Date : 2011 / 06 / 20

 私の住む岩手県八幡平市は、いま緑したたるという言葉そのもののように良い季節です。森からはカッコウの声が聞こえてきます。ちょうど田植えが終わったところで、まだ苗が小さいため、近くの木や家の影が田んぼに映り、夜になると街灯の明かりも映って、何とも言えず美しいのです。もちろんカエルの合唱も聞こえます。いったい、今までどこにいたのか、と思うほど、田んぼに水が入ったそのときから、カエルが鳴き出したのには驚きました。そして、この6月15日の夜は満月でした。信じられないほど見事な美しい夜でした。風も雲もなく、澄み切った空に満月がまぶしいほどの輝きを見せていました。目の前には岩手山が黒々とはっきりと見えているのです。カーテンを全部開けて、しばらく月光を浴びていました。こんな経験は生まれて初めてのような気がしました。アンデルセンの『絵のない絵本』を思い出していました。なんだか勇気が注がれるような光でした。この満月の光は、沿岸の被災地でも輝いていることだろうと思いました

 3月11日の震災以来、同じ岩手でもここは内陸で津波の被害からは遠いのですが、それでもしばらくの間は、家のなかでさえみんなが声をひそめ、肩寄せあっている感じが続きました。実際、あの頃はまだ寒く、雪が舞うことも多かったのです。しかも、暖房も使えなくて、停電の続く間は、ラジオをつけっぱなしにして凍えていました。あの頃、東北地方のすべてが停電だったと思います。何日目かの夜、ラジオを聞いていた長男が、「盛岡に電気がついたぞ」と言うので、窓から見ていると、遠くの方から、だんだん明かりが近づいてくる様子が分かりました。そして、家に明かりがついたときの感激はまるで自分たちが古代人になったようでした。

 私は、家族とともに、昨年の5月にこの地に引越してきました。ちょうど現代企画室からクラブヒルサイドでのセミナーをまとめた『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』という題の本を出版して頂いたばかりでした。長年住み慣れた住宅兼事務所の東京代々木を離れることは、本当に大変な決断を要しました。もちろん、それまで自分の出版してきた書籍に対しての愛着もありましたし、責任もあると思っていましたが、これ以上すえもりブックスとして出版を続けて行くことは出来ないということも分かっていました。それで最終的に岩手に引越すことに決めたのですが、いまでは、これで良かったのだと思っています。

 ここ岩手県は、父の故郷であり、私自身も疎開して、3歳から10歳まで住んでいたところです。それは子どもが子どもになっていく時間のすべてだったように思います。そのようなところに帰ってきたのですが、有り難いことに、もう亡くなりましたが、彫刻家である父舟越保武についてとか、『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』についてなどの講演会を次々に頼まれるようになりました。

 実は私は東京代々木を離れることをどのように自分で自分を納得させることが出来るか、あれこれ考え七転八倒していました。出版の仕事も手放すことになるわけですから、すべてを手放すようにという声に従わないわけにはいかないと思っていました。聖書のなかで、キリストが弟子を招かれる場面で、漁師だった弟子たちは舟を捨てて従ったとあるのです。そして、引越してきてから、しばらくして、漁師が舟を捨てるとは何を意味するか、と思い至ったのです。漁師が舟を捨てるとは、自分の生活に関わるすべてを捨て、新しく始まる道を歩くことだと気がついたのです。

 そして、この震災です。長年世界中の子どもたちに本を渡す仕事に関わってきた者として、しかも、いま岩手に住む者として、そして、病気の息子のことで、信じられないほどお世話になっているこの地の人たちとともに、何かしようと思うのはごく自然なことでした。こうして立ち上がった「3.11絵本プロジェクトいわて」ですが、一番最初の呼びかけはクラブヒルサイドから発送して頂いた手紙を通してでした。それが始まりで本当に大きな反響を呼び、日本中から22万冊もの絵本が集まってきました。殆どの人が、本に手紙をつけてくださり、「この震災について、何かしたいと思っていたけれど、何をしたらいいか分からなかった。このプロジェクトを立ち上げてくださってありがとうございます。」と書いてくださいました。今さらのように、人々が絵本の役割をこんなに重要だと思っていたのかと感動しました。

 ある友人が「あなたは、東京の舟を捨てて、北の海で一緒に働いてくれ、と言われたのね。」と書いてくれました。涙があふれました。

インフォメーション

イベント

  • セミナー&イベント一覧
  • セミナーシリーズ一覧
  • 過去開催されたイベント
  • セミナー&イベントレポート

クラブヒルサイドサロン

クラブヒルサイドサロンはクラブヒルサイド会員のためのスペースです。交流と活動の場としてご利用ください。

詳細を見る

ヒルサイドライブラリー

ヒルサイドライブラリーは、クラブヒルサイド会員のための私設図書室です。各界で活躍する“目利き”が選んだ蔵書が収められた美しい空間で、思い思いの時間をお過ごしいただけます。

詳細を見る

100人の目利き

ヒルサイドライブラリーの “目利き”たちは、文学、美術、建築、まちづくり、デザイン、思想、科学、経済、ジャーナリズム、音楽、ファッション等、さまざまな分野の第一線で活躍されています。

詳細を見る

メールマガジン

クラブヒルサイド主催のセミナーやイベントの他、ヒルサイドテラスの展覧会やコンサート、イベントなど、最新情報をお届けいたします。

詳細を見る

ページの先頭へ

twitter