花のある暮らし RELAY ESSAY 017

- 後藤陽次郎
- PROFILE
Date : 2016 / 02 / 16
今から30年ほど前、NYが好きでよく行っていた。
Madison Ave.にMorgansというブティックホテルができたというので、オープンしてすぐに泊まってみた。
それ以後、しばらく常宿として親しんだ。Andree Putmanのデザインで、もともとは安宿だったらしく、部屋は狭いが、デザインの効果でさほど気にならない。
当時はモノトーンが好きだったので気に入ったわけだが、もう一つの理由は一輪の花だった。
ベッドサイドの小さなテーブルの上に濃いピンクのランの花。
狭いバスルームにも必ず赤系か白の一輪の花。とても印象的で、ホテルの気遣いを感じた。
無言のホスピタリティというか顧客へのさりげないもてなしだと感動したものだ。
今では当たり前かもしれないが、それ以来、レストラン、バー、小売店などに花のない空間があると、そこには魅力を感じなくなってしまった。もちろん花でなくても自然の緑や木々でもいい。そんな頃から野に咲く花にも気づくようになり、四季の移り変わりを楽しむようになった。
古今東西花は人の心を安らげ、特別な証としても愛されてきた。
The CONRAN Shopを日本に導入した1994年でも、まだ日本では花は特別な存在だった。
記念日や愛の告白、冠婚葬祭、お祝い、見舞いといった行事だけではなく、もっと日常に使われ始めたのは、その頃からだったかもしれない。
花の流通も発達して、手頃な値段で買えるようにもなった。花瓶が飛ぶように売れた。やっぱり昔から日本人は花を愛でる国民性であり、知らないうちに当たり前に日常に取り入れているんだと安堵したりもした。
今では、花は日常的な空気のようなものから、特別なアートとして楽しむものまで、花の役割は多彩である。
日本文化の象徴である茶道においても、茶花は欠かせないし、もちろんその感性も問われる。
凛とした生花が、床の間や壁にあるだけで、その空間の存在感は違ってくる。
英国のTVドラマの名探偵ポアロで、彼の胸にはいつもアールデコの花瓶のブローチに、小さな花が添えられている。そんな一輪の花を忘れない優しさ、気遣いが、自然を守り、人の心を思いやることに繋がっていくものだと思う。
昨今の時勢は、心が砂漠のように乾き人の命をも軽んじる事象も起きて、なんともやるせない気持になってしまう。みんなが、花のある暮らしの豊かさに気づいて、互いを思いやる気持を持てば、もっと平和に楽しく発展的な世の中になるのになぁと思うこの頃である。