井上ひさし『ボローニャ紀行』のはなし RELAY ESSAY 005

- 福原義春
- PROFILE
Date : 2011 / 11 / 16
ずっと以前、住吉弘人編集長がお元気の頃だったが、私たちの財界人同人誌「ほほづゑ」の特集テーマについての相談があった。住吉さんはニューヨーク勤務もされ、ニューヨークの風景を油彩の作品のシリーズで描かれたが、イタリアが大好きで度々訪れておられた。その住吉さんが次の特集をイタリアにしたい、日本人はイタリアの国や文化やレストランが限りなく好きだからと提案されたことがある。
驚くことにその場の何人かはこのアイデアに反対であった。私自身も米国の東海岸に三年住み、度々フランスにも行っているのだが、イタリアには何となく惹かれるものがあって、イタリアの嫌いな日本の知識人がいるとは思っても見なかった。イタリア人は大抵日本好きであり、日本人はみんなイタリア好きであるぐらいにしか思っていなかったのだ。
住吉さんによれば、イタリアに行って多くの人がスリや置き引きに遭遇している。ところがそういう目に合いながらも、それが却ってイタリアの好きな理由のひとつになるのだという。事実、後から「ほほづゑ」に書かれたイタリア紀行では、シチリアで見事に財布を盗まれた。しかしその財布はパスポートとともに警察署に届けられたということなのだ。
先日亡くなった井上ひさしさんも、イタリア、とくにボローニャを敬愛した一人である。
井上ひさしさんが松岡正剛さんの「連塾」というシリーズで対談されたことがある。そのとき背景に映された井上さんの全著作は縦にして並べると何メートルかになるのだった。勿論その中には『吉里吉里人』のように分厚い本もあり、200頁位の薄い本もある。その中でも222頁の本であり乍ら私の心にいつまでも残っているのが『ボローニャ紀行』(文藝春秋)なのだ。この本はオール読物に2004年から2006年にかけて連載されたものをまとめたものだ。
それまで井上さんは三十年にもわたってボローニャについてのストーリーを読んでいたところへ、NHKテレビの取材の申し出があって渡りに舟と二週間の滞在予定で出発する。
到着した空港で迎えのバスを待つ間に大切なテストーニのカバンと、古書を買うために用意した1万ドルと100万円の札束二つがあっという間に消えてしまうのが始まりだ。東京の奥さんに電話すると、イタリアの盗みは職人芸で、ナポリで停泊したアメリカの潜水艦の乗組員が上陸し、一泊して戻ったら潜水艦が一夜にして解体されてなくなっていたという小話を聞かされ、潜水艦の艦長よりましだと諦める。
さすがは劇作のベテランだ。出だしから映画のシーンのようなドラマがあり、ユーモアがあり、目をみはるようなエピソードがあり、笑いがあると思えば涙の物語もある。
かつて第二次大戦中には、ボローニャはドイツ軍に占領されたが、市民たちのレジスタンス運動によって解放された。歴史を振り返ればダンテもペトラルカもエラスムスもコペルニクスもヨーロッパ最古のボローニャ大学の卒業生である。ウンベルト・エーコもボローニャ大学の哲学科教授だった。
そんなに古くからの歴史や知的集積が現代に至るも脈々と流れ、息づいていること自体珍しいのだ。
一方で現代では機械工業の発展に支えられる地域でもあり、市民のために集めた古い映画フィルムを修復する技術が世界的産業になってもいる。
その根本となっているのはボローニャ方式と呼ばれる連帯と自治の方式であり、いかに市民たちがボローニャの町を愛しているかの物語である。
赤いボローニャと呼ばれるように一時は左翼市長の下で中央政府に反抗して市民の自治を貫き、現代ボローニャ再生を果たした。それを荷った人々の精神や機知を余す所なく紹介した紀行だ。
これを読めば一度はボローニャを訪れたくなり、今日でも大事に残された旧市街での新しい商業の動きを見たくもなるに違いない。
ただの町づくりや紀行ではなく、小さな本の中でボローニャで起きたこと、起きていることを紹介する読みものとしてもすばらしいのだ。